華麗なるP一族

2010年あたり、Pが12歳ごろ、大雨で隣町の川が大氾濫した。「川…見にいこうぜ」。土砂降りの中Pママがそう呟いたので、隣町のでかいスーパーに行くという名目で家族全員車に飛び乗った。スーパーに着く手前にその川があるが、やはりひどく増水しててそれはもうすごかった。「ひー、やば!やっぱやばい!やばいね。」Pママははしゃいだ。一方Pはすごく暗いキモチだった。Pは目的地のスーパーが嫌いだった。そこはたまにしか行かないけど、行くたびに知的障がいの青年に話しかけられるから。おそらく彼は毎日そのスーパーを訪れて居座り、子供や店員さんたちに延々と話しかけているようだった。小学生の私からするとそれはもう恐怖でしかなかった。個人情報をやたら聞くのだ。なんて名前?何歳?どこの小学校に通っているの。怖くてPは全て正しく答えた。嘘をついてはいけないような気がしたから。

野次馬してスーパーで買い物を終え、Pたちは家路についた。大雨の中なんとか家につき、Pママが夕飯を作り始めたとたん「ねぇ…お湯でないんですけどー❗️❓」…。お湯が出なくなっていた。Pパパも、またママが変なことを言ってるといったかんじで水道を出したり止めたりしてみたが、もう完全に給湯器が死んでいた。

「ほら…  こーいうことすると、こーなんの(笑)(泣)」

Pママは、泣いても笑ってもない顔でそうボヤいた。誰がどう見ても“野次馬をした天罰”だった。それ以来Pファミリーは、野次馬を絶対にしないという暗黙のルールができた。

一方でその日、PはPママのことをもっと好きになる出来事が起きていた。スーパーのお菓子コーナーをPがうろついていると、案の定彼が話しかけてきた。「なんて名前?何歳?どこの小学校に通っているの。」Pはひととおり馬鹿正直に答えたにもかかわらず、彼はまた「なんて名前?何歳?どこの小学校に通っているの。」ロボットのようにそれを繰り返した。「さっき言ったじゃん…」と答えたあと、酒コーナーにいるPパパのもとへ逃げた。そこまで彼はついてきて、また同じことを繰り返し始めたのだが、Pパパは彼を完全無視した。Pもそうすべきだと思って2人で無視を決め込んでいると、彼は飽きてどこか別のターゲットのところへ向かっていった。

その後Pママも合流し会計のレジに並んでいると、また彼がやってきた。例の3質問を投げかけてきたので、Pママは一体どう対処するのだろうと思っていたのだが…。「PYLちゃんって言うの。南小に通ってて、12歳。」と、当たり前のように返答した。彼はすぐに満足したようで、その1ターンでいなくなった。なんで全部言っちゃったの?とPママに聞くと、「悪い子じゃないから、大丈夫だもん」と。防犯上ヤバいだろということはひとまずおいといて、P的にはとにかく、優しい人だなと思った。人当たりが良くニコニコしていて「やさしいパパだね」とよく言われるPパパの対応が“無視”だった一方で、悪口や文句が多くいっつも訳の分からないふざけたことばかり言っているPママがこのような対応をしたことが、ひどく意外だったのだ。その日から「優しさとは…」ということをよく考えるようになった。Pパパは優しいけど、もしかしたらPママの方が優しいのかもしれない、と思う。


普段はクールで何に対してもあまり関心のないPママだが、突発的に家族を巻き込んでなにかたくらむことは“氾濫河川野次馬”以外にも何度かあった。Pが高校受験を控えた中3の冬やすみ、ある夜中にPママが「はい明日はゴリラを、見ます」と。ホントに全員寝る直前だった。調べてみるとゴリラがいる動物園というのは意外とすくなくて、最寄りだと上野動物園、次点で浜松市動物園だったが、上野動物園は混んでて嫌だし、そもそもウチらはゴリモク(ゴリラ目的)なので、空いていそうな浜松の方にしようということになった。次の日、4時間近くかけて到着した。すごく寒くて曇天で、まったく動物園びよらなかった。Pママは、明言はしないもののおそらく動物が好きで、全動物に変なコメントを残していった。「志村みたいな顔してる」とか「おんなじ動きばっかしてる」とか。もう夕方になったころ、大本命のゴリラコーナーにたどり着いた。みんなで意気揚々と見に行くと、いない。すご〜い深くて広い堀になっている。よ〜く見たら、はじっこで一頭、壁際に座りながら腕をかくのと鼻をほじるのを交互に繰り返していた。「まぁ、寒いしな…」Pママはそうゴリラを労ったのち、全員ですぐ帰った。4時間かけて。途中でさみしいサービスエリアでメシを食べたが、いまだに「あのサービスエリアは…寂しかったね…」とPママは回想している。